チャットレディの歴史
それまで風俗やキャバクラなどの高収入アルバイトの代表として
君臨していた業種で女性にとって一番ネックとなっていた、
「触る、触られる、舐める、舐められる」
などの我慢を強いられる業種に殴り込みをかけることと
なった、ライブチャットレディ。いろいろな呼び名があり、
ライブチャットガール、チャットガール、ネットガールや
チャットギャルなどという名称もほぼ、チャットレディという
総称で落ち着くこととなった。
2000年代初頭、当時パソコンが一台20万〜40万円もした時代に、
まだ一人一台の時代もままならぬ時だったため、チャットレディは
誰もが知っているような仕事ではなかったし、女性がパソコンを買って
何をするのかという時代背景があったが、大学生がレポート作成や勉強に
使う為のデスクトップ型の大きなパソコンが、学生の間でもステータスと
なっていた。
また、システムのインフラが整い始めたちょうどその頃、ウェブカメラも
量販店の店頭で目にするようになり、自分で自分の映像を配信することができ、
テレビ電話ができるという売り出しに、当時ほとんどのパソコンユーザーが
買った事であろう。
一方で男性ユーザーの間では見ず知らずの素人の女性とリアルタイムに
インターネットで話ができて、しかも女性側の映像を観ることができるとあり、
その需要が高まると同時に、女性の募集も、求人誌面やインターネット上で
「女性の在宅ワーク」として求人募集が増えていった。応募する女性は
ほぼ一般の素人女性が多かったが、日本人の特性なのか、人前に自分の映像を
さらけ出すことに抵抗があったため、モデル事務所に入っている
モデルの卵などもライブチャットでのアルバイトを行なうようになっていった。
2003年頃には、女性が男性と肩を並べてもっと仕事をするべきという世論が
高まっていくと共に、社会に出たり都市部に上京したりする18歳を過ぎた女性の
一人暮らしが、10年前に比べ30%増加(国勢調査データより)となっていった。
一方で、未だ社会の女性進出を快く思わない企業では、女性社員の数を大幅に
増やしていくどころか一時的な契約社員の利便性をとることで派遣企業に
登録せざるをえなくなった女性たちは辛い境地に立たされることとなる。
そんな中、パソコンやインターネットの認知や普及は飽和状態を迎え、
契約社員として仕事をしていたり満足の出来る収入がもらえない女性たちの目は、
誰にもバレずに副収入が簡単に稼げるとチャットレディの仕事がネット上や
クチコミで広がり、高収入で稼げると、求人募集では一日100人以上の女性が
チャットレディの登録申し込みに殺到していったのである。